とりあえず、なんか書きますか。

はてなブログに引っ越してきました、読書メモと日記を不定期に書いていくブログです。不定期なのは、相変わらずです。

年金の税へのシフトについて考えてみる

いま話題の年金ですが、民主党の基本政策というのを見ると、


公的年金制度は、世代間扶養の原則を踏まえつつ、負担における税の比重を高める方向で長期的に安定した制度に改革する。

というふうに書いてあります。与党の方は、公明党は国庫負担金の割合を1/2にするとか具体的なのですが、自由民主党の方は民主党への文句みたいなのが多いような気が。
将来的に、国民年金を完全に税金にするとどうなるか、ということを仮に考えると、税金を多く払っている人が、税金を払っていない人をふくめて年金を多く支払うということになる。いまの国民年金は、いちおう「一人当たりいくら」という負担で、「一人当たりいくら」という支給がある仕組みになっている(ただし、国庫負担金があるから、完全に平等なシステムではない)。となると、年金を税へシフトするということは、いまの一人当たりとしての平等なシステムから、余裕のある人が多く負担するというシステムになる(現状の厚生年金はこういうシステム)。
いまの年金は世代間扶養になっているから、さらに時間の軸が問題になってきて、税へのシフトは、現在の豊かな層が現在の高齢者を支え、将来の豊かな層が、将来の高齢者を支える、ということになる。ということは、現在豊かでなく、将来高齢者になることが可能なので、原理的には「ただ乗り」が可能になるということである。しかも、もっと深刻なことに、現在豊かでなく、子どももいないまま、将来高齢者になる、というタイプの「ただ乗り」が可能になる。
となると、年金の税へのシフトというのは、こういった「ただ乗り」を社会として許容するかどうか、ということになる。「超」をつけてもいいくらいの福祉社会では、こういったタイプの「ただ乗り」を社会が許容する。それが社会全体にとって有意義であると、多くの人が考えるから。ということで、社会がどのようにあるべきか、ということを考えなくては、年金の改革というのは根本的には出来ないのではないのでしょうか。
ということで、ここでは私の意見を述べるのではなく、年金の税へのシフトは、こういう観点から考えないといけないのでは?ということを述べて、終わりにする。