とりあえず、なんか書きますか。

はてなブログに引っ越してきました、読書メモと日記を不定期に書いていくブログです。不定期なのは、相変わらずです。

スティーブ・ジョブズの引退に思うこと

AppleのCEOであったスティーブ・ジョブズの引退(とティム・クックのCEO就任)というニュースがあってからもう2週間近く経ちましたが、大学時代からだいたい15年間ぐらいAppleを使い続けてきたひとりのAppleファン(信者?)としてはいろいろ思うことがあります。なので、つらつらと書いてみました。

1. 車とコンピュータ

考えてみると、僕とAppleとの最初の出会いというのは大学時代よりももっと前で、確か小学6年生のときに読んだアスキーという雑誌での記事だ。うる覚えだが、その記事には、「アメリカには車と同じぐらいの値段がするコンピュータにお金をつぎ込んでいる人たちがいる。そのコンピュータはAppleという会社が作ったものだ」というようなことが書いてあったと思う。僕が1972年生まれなので、だいたい1984年ぐらいのことだ。いま調べてみると、ちょうどMacintoshが出だした頃のことで、きっとこの記事はApple IIとかのことを言っていたんだと思う。
その頃は日本ではMSXとかのはやりが一段落してきて、PC-88とかPC-98とかが日本のメインストリームになりつつあったタイミングだと思う。いまは一般に「パーソナルコンピュータ」とされるものはまだ「マイコン」と呼ばれていて、電源を入れるととりあえずBASICが立ち上がり、真っ黒い画面にコマンドプロンプトがカーソルを白く点滅させて「さあ、どうぞ」と無言で待ち構えているようなものだった。GUIなんて存在しなかった時代だ。そんななかでコンピュータに興味を持っていた僕は、その記事に書かれたGUIを持つコンピュータ(その頃はGUIという単語なんか知らなかったけど)で、アメリカのあるジャンルの人たちが熱狂的に信奉する、Appleという会社が作るコンピュータのことをよく分からないながらとても印象深く思った。「そんなにお金をつぎ込むということは、そんなにすごいコンピュータなんだろう」と。

2. 自転車とコンピュータ

それから、僕が手にしたコンピューターは、富士通のFM-77、その次はEPSONが出していたNECのPC9801互換機だった。当時は結構な価格だったけど、それなりの解像度があって、ワードプロセッサソフトが動いて、ゲームが動いて、ソフトウェアが充実しているコンピューターは断然NECの9801シリーズだった。それから、Windows3.1と一緒にIBM-PC/AT互換機が日本にどーっと入ってきて、Windows95がやってきた。家にもWindows3.1のコンピューターがやってきて、初めてGUIというものに触れた。それは使いやすいものではなかったけど、間違いなく分かりやすいものだった。
そして、大学の研究室に入って、Windows95のコンピューターで卒業研究の原稿を書いた。でも、研究室にはWindows95のコンピューターの隣にMacintosh(PowerMacintosh 6100)がいて、インターネットにつながっていた。そのMacで、出たてのMozaicでインターネットというものに触れた。


修士2年のときにまとまった金が手に入ったので、家のコンピューターを、インターネットにつなぐことができるものに買い替えようとして、Windows95が動くDellのPCかMacかでさんざん悩んで、最後にPowerMacintosh 7200を買った。決めては、小学校の頃の漠然としたあこがれと、使いやすいSystem 7のGUIと、雑誌で読んだジョブズの言葉だった。ジョブズMacをスタートさせるときのプロモーションで、こんなことを話していた(当時の雑誌はなんだか忘れたので、引用元はMacintosh Historyさんです。)。

動物が、一定距離の移動に消費するエネルギーに順位づけをすると、最も移動効率の良い動物は鳥であると、ある学者がつきとめた。人間は残念ながらかなり下の方になる。ところが、その人間に自転車というひとつの道具を与えると一位になるという。道具を使って人間は力を増幅できる。
 Macは、思考の自転車だ。
 個人が不得手とすることをMacが肩代わりすることで、本来その人にとって困難であったことを可能にすること、それがAppleの目指す方向だ。その最先端の技術を活かす方向性は、個人の能力を増幅する道具になることで、日本のメーカーの作っている計算機のようなものではない。思考のための道具作りなのだ。

この言葉に強い印象を受けた僕は、それまでのソフトウェアも経験も全く生きないMacの世界に飛び込んできた。これが僕のMac履歴のスタートで、その後、MacOSGUIの分かりやすさと使いやすさ、そしてインターフェイスとマシンの美しさに惚れ込んで、PowerBook 2400cPowerMac G3、ボンダイ・ブルーの初代iMac、チタンのPowerBook G4、iBook G4、初代MacBookIntel iMac(2008)、MacBook Air(2011)とひたすらMacを使い続けている。職場にはWindowsしかないけど、家ではMacでないと落ち着かない。そんなAppleファンになっていた。
また、ジョブズの言葉の「自転車の移動効率の高さ」に惹かれて、自転車(MTB)を買って持ち歩いて旅行をするようになった。これももう一つの重要な趣味になって、今ではBromptonの自転車を愛用している。
このジョブズの言葉は、そんな感じに、僕の人生に大きく影響している。

3. 手のひらの中のコンピューター

そんな僕なので、iPhoneがアメリカで出たときからずっと気になっていた。「あの使いやすいMacOSをベースとした携帯電話なんて、どんなに素晴らしいものなんだろう」と。そのときは日本の携帯に飽きてNokiaの携帯を使っていたのだけど、それでも直感的に使いやすいというものじゃなかった。
3Gになって日本にやってくることが決まってからは、もう当然買うのは当たり前で、後は「いつ買うか?」という問題だった。で、仕事の関係もあって初日には並ぶことはしなかったけど、発売後1週間以内には手に入れていた。
手に入れたiPhoneは革命的だった。それは「直感的で使いやすいインターフェイスの携帯電話」ということだけではなく、「インターネットに常時接続したデバイス」であり、それを前提とした様々なソフトウェア(「Apps」と呼ばれるもの)が動くものだった。インターネットに常時接続していることが前提となると、行動パターンが一変してしまう。行き先は住所があれば、Google Mapsで検索してGPSで現在位置を確認してナビゲーションしてもらえば迷わず着く。電車に乗るのも旅行でも、目的地に行く途中でどの電車に乗るか、何を食べるかを調べればいい。何か分からなければすぐにGoogleWikipediaで調べればいい。天気は気象レーダーで雨が降るのかどうかどこでもすぐに調べられる。そして、Eメールだけでなく、TwitterFacebookで家族や友人たちと繋がっている。もう、iPhoneがない生活は考えられないぐらいに日々の生活パターンがiPhoneの存在を前提としている感じになっている。
こういう生活になってみると、iPhone(やその延長としてのiPad)は、ジョブズが本当に目指していたものに近いんじゃないかと思う。iPhoneはとにかく、個人の生活のどの瞬間にも深く関わってくる。だから、真の意味でのPersonal Computerに非常に近いデバイスだと思う。コンピューターの前に座ることでコンピューターに接するのではなく、コンピューターが手の中に入ってくることで、真の意味での個人のコンピューターになるんだと実感した。
いまは、iPhone 4が手のひらの中にある。

4. ジョブズの引退に思うこと

最近のAppleについて日本では「Macの会社」というよりも、「iPodiPhoneiPadの会社」と見なされていて、ジョブズの引退記事もそんなトーンで書いているものが多い。10年以上前からのMac使いの自分にとってみれば、ちょっと違うなという気がする。
ジョブズは、GUIをコンピューターの世界に導入することによって、MacOSWindowsも含めたパーソナル・コンピューターというものを作り出した。いまや多くの職場ではGUIベースの一人一台のコンピューターがあり、多くの人は仕事をしている時間はそれに向き合っている。そして、家に帰れば、インターネットからの情報を得るためにパーソナル・コンピューターを使っている。
そして、GUIをベースとしてインターネットに常時接続するiPhoneというデバイスを作り出すことで、個人が常にコンピューターを通じてインターネットに繋がり、多くの可能性を手に入れられる環境を作り出した。Google AndroidWindows Phoneなどもあるけど、結果的に得られるものはみんな同じで、人が常に自分のデバイスを通じてインターネットに接続してやり取りをしているという社会がやってきた訳だ。
ジョブズとしてはまだまだやりたいことはたくさんあるのだろうけど、GUIを使ったApple IIからiPhoneに至るまでのなかで、「最高のコンピューターを提供することで人間の生活を向上させる」という意味ではもう十分すごいことを成し遂げたんだと思う。
そして、僕としてはジョブズが作り出してきた「技術革新・生活革命」といってもいいようなこの変化を同時代人としてリアルタイムに体験できたことを素直にうれしく感じる。
だから、今回の引退については、「ありがとう」と言いたい。この時代に生まれてきたことを感謝しているのは、きっと、スティーブ・ジョブズという人がいたことに多くを依っているんだなあと思う。本当に、素晴らしい体験でした。