Jobsのいない世界
もうほとんどの人が知っていると思いますが、Steve Jobsが亡くなりました。
東京ではまとまった雨が降り、そして雨が上がって晴れた日でした。雨の後の空には秋の雲が浮かんでいて、空気は澄んでいて雲の合間からはきれいな青空がのぞいていました。
そのニュースを聞いたのはお昼ごはんをラーメン屋で食べているときでした。いや、正確には、ラーメン屋でラーメンを頼んで待っている間に、そこで流れていたテレビのニュースで聞いたのでした。
もう、長くはないと思っていたからそのときはそんなに驚かなかったし、ラーメン屋の醤油味のラーメンと餃子と小ライスも問題なく完食できました。
そう、そのときはそんなには心には響かなかった。
で、職場に戻るためにバスに乗ったけどそれは間違えた路線のバスで、職場から離れたバス停で降りて途中トイレを借りに病院に寄ったりしながら職場に戻り、そしてしばらく職場に戻っていなかったためにたまっていた仕事を順番に片付けていって、普通に夜になったので帰路につきました。
で、そこで、実感が湧いてきた。
帰りのつくばエクスプレスに座り、Jobsが亡くなったことについてのニュースを、iPhone 4で見ながら、ふと周りの人や電車の中を見上げて、そのときに実感というものがやってきました。
向かいの席の人は白いコードのイヤホンを付けている。そう、それはJobsが作り出した全く新しいオーディオ機器のiPod。
そしてスマートフォンを操作している人もいる。そう、それはJobsが作り出したiPhoneによってユーザーインターフェイスが刷新された携帯デバイス。
そして見上げると広告がいくつもある。そう、それはJobsがMacintoshで実現したWYSIWYGがもたらしたDTPによってデザインされている。
そうやってみると、今日の仕事ではWindows VistaだけどこれまJobsが作ったMacintoshによって初めて実現したGUIによるOSを使っていたし、もちろんWYSIWYGな作業をWordやExcelを使ってやっていた。
そうやって、Jobsが亡くなった日に、Jobsがこの世界にもたらしたものにいかに自分が囲まれているのかを実感したのです。
そう、僕らの周りにはJobsが作り出したものがすごくあふれていたんだ。
そして、失ったものの大きさを実感したのでした。
20世紀から21世紀にかけて生きてきて何が素晴らしいかといったら、このコンピューターというデバイスが未知の可能性を切り開いて、どんどん信じられない世界が実現していくことです。正直僕はそんな時代に生きていることについて、感謝の気持ちでいっぱいです。誰に感謝すべきなのか、それは神なのか両親なのかそれとも自然の摂理がもたらす微妙な偶然なのかよく分からないけど、このコンピューターが切り開く信じられない世界を作り出した中心にいたのはいつもJobsなんじゃないかと強く思うのです。
それだけに、失ったものの大きさが、とても強く感じられるのです。
今日はJobsが亡くなった10月5日から数えて2日目です。
もう、Jobsがいない世界が2日目に入りました。
今日は朝も職場に行く間に涙が出てきたし、帰りもちょっと涙もろかった。
仕事帰りにAppleStore銀座に行って、一輪のカーネーションを捧げてきました。
そこには多くの花がありました。
銀座の空を見上げると、雲はなく澄んだ夜空でした。
星は見えないけど、昨日の青空のように澄んでいました。
澄んだ空を見ながら、遠い世界に行ってしまったJobsのことを考えていました。
Jobsのいない、この世界から。