とりあえず、なんか書きますか。

はてなブログに引っ越してきました、読書メモと日記を不定期に書いていくブログです。不定期なのは、相変わらずです。

百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」(講談社文庫)

この本に出会ったはほんとうに偶然です。たまたま英会話学校の先生(Native speaker)が日本の本で「エイエンノゼロ」というのが好きだと言う話をしていて、なんとなく印象に残っていたのです。しかし、最近は英会話の予習復習やら英会話に行ったきっかけの海外での国際会議のための原稿作りやらなにやらで忙しく、本を読む暇があれば英会話の予習復習とか英語の文献を読んだりとかそんな感じに過ごしていて、本もいろいろ買っているのにちっとも読む時間がない状況でした。
で、8月の最後の金曜日の夜に飲み会があってしこたま飲んだ翌日の午前中にいつもの病院の予約を取ってあり、「こんな二日酔いの頭では英会話も英語の論文もやってもしょうがないなあ」と思い、いつも2時間ぐらいかかる長い待ち時間の間に読みかけで積んである本を持っていって読もうかと思って出かけたのですが、二日酔いだったので本を持って行くのを忘れたのでした。そして、しょうがないので病院の売店で週刊誌でも買って読むかなあと思って寄った売店の週刊誌置き場の上に、「エイエンノゼロ」ならぬ「永遠の0(ゼロ)」が置いてあったという訳です。
まあ、こんなに長い偶然の話を書いたのも、この本の裏の主題が「偶然」なのかなあと思ったからです。もちろん、零戦という格闘性能はとても優れているものの防弾性能がきわめて劣っていたという宿命的な特性を持った(いや、「搭乗者に宿命を負わせる」と言った方がよい。)戦闘機と、それに乗って戦争を戦い、死んで行った若者、生き残った若者、そして、戦争そのものと、生き残ったものたちとのつながりの話だとは分かっているのです。が、この本を、この本が描くようなストーリーでまとめるためには、かなりの量の「偶然」を必然的にストーリーの中に盛り込むことになる訳です。なぜなら、零戦の特性や日本海軍の戦略・戦術は零戦の搭乗者が生き残ることをほとんど「偶然」のレベルにしてしまっていたのですし、さらに特攻を描いていますが、特攻に行ったほとんどの人は亡くなってしまっている訳です。また、生存した証言者が宮部久蔵の戦歴順にきれいな順番で見つかるというのもほとんどあり得ない「偶然」です。
なので、この本のストーリーは多くの必然的な「偶然」がなくては成り立たないというかなり脆弱な基盤の上に立っていると思うのです。そういう意味で、全体的に「嘘っぽい」感じがあります。
しかし、その「必然的な偶然」を真のものとして信じ受け取ることが出来るなら、これはとても心を動かされるストーリーだと思いました。批評的に読んでしまってはそういう受け取り方は出来ないと思いますが、頭から丸呑みにしてこの本を読めるなら、これはなかなかない素晴らしい本だと思います。なので、そういう読み方が出来る人には手放しでHighly recommendedです。
そして自分、ですが、柳田邦男氏の「零戦燃ゆ」を夢中になって読んだ技術系の人間からすると、「零戦燃ゆ」の方が零戦自体についてはおすすめです。しかし、飛行機乗りの人たちがどんな思いで戦争を戦っていたのかということは「零戦燃ゆ」ではあまりリアルには書かれていないので、そういう点からはフィクションですけどこの「永遠の0」の方がとても良いと思います。
で、最後に「偶然」を信じるか?、ということですが、理屈っぽい人間ですけれど、この本については「ある意味だまされてもいいのかな」と思いました。なにせ、出会ったのも偶然ですから。正直なところはそんな感じです。

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)